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前の方で大きな声

 

わたしも気がついて見あげると、名に負う第一の石門は蹄鉄のような形をして、霧の間から屹と聳えていました。高さ十丈に近いとか云います。見聞の狭いわたしは、はじめてこういう自然の威力の前に立ったのですから、唯あっ[#「あっ」に傍点]と云ったばかりで、ちょっと適当な形容詞を考え出すのに苦しんでいるうちに、かの七人連れも案内者も先に立ってずんずん行き過ぎてしまいます。私もおくれまいと足を早めました。案内者をあわせて十人の人間は、鯨に呑まれる鰯の群れのように、石門の大きな口へだんだんに吸い込まれてしまいました。第一の石門を出る頃から、岩の多い路はいちじるしく屈曲して、あるいは高く、あるいは低く、さらに半月形をなした第二の石門をくぐると、蟹の横這いとか、釣瓶さがりとか、片手繰りとか、いろいろの名が付いた難所に差しかかるのです。なにしろ碌々に足がかりも無いような高いなめらかな岩の間を、長い鉄のくさりにすがって降りるのですから、余り楽ではありません。案内者はこんなことを云って嚇しました。

「いまは草や木が茂っていて、遠い谷底が見えないからまだ楽です。山が骨ばかりになってしまって、下の方が遠く幽かに見えた日には、大抵な人は足がすくみますよ。」

 成程そうかも知れません。第二第三の石門をくぐり抜ける間は、わたしも少しく不安に思いました。みんなも黙って歩きました。もし誤まってひと足踏みはずせば、わたしもこの紀行を書くの自由を失ってしまわなければなりません。第四の石門まで登り詰めて、武尊岩の前に立った時には、人も我れも汗びっしょりになっていました。日本武尊もこの岩まで登って来て引っ返されたと云うので、武尊岩の名が残っているのだそうです。そのそばには天狗の花畑というのがあります。いずこの深山にもある習いで、四季ともに花が絶えないので此の名が伝わったのでしょう。今は米躑躅の細かい花が咲いていました。

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