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エディンバラ上流人士の象徴

 

二十歳のスティヴンスンは考えた。彼は、通い慣れた教会の代りに、下町の酒場へ通い出した。息子の文学者志望宣言(父は初め息子をもエンジニーアに仕立てようと考えていたのだが)は、どうにか之を認め得た父親も、その背教だけは許せなかった。父親の絶望と、母親の涙と、息子の憤激の中に、親子の衝突が屡々繰返された。自分が破滅の淵に陥っていることを悟れない程、未だ子供であり、しかも父の救の言葉を受付けようとしない程、成人になっている息子を見て、父親は絶望した。此の絶望は、余りに内省的な彼の上に奇妙な形となって顕れた。幾回かの争の後、彼は最早息子を責めようとせず、ひたすらに我が身を責めた。彼は独り跪き、泣いて祈り、己の至らざる故に倅を神の罪人としたことを自ら激しく責め、且つ神に詫びた。息子の方では、科学者たる父が何故こんな愚かしい所行を演ずるのか、どうしても理解できなかった。

それに、彼は、父と争論したあとでは何時も、「どうして親の前に出ると斯んな子供っぽい議論しか出来なくなるのだろうか」と、自分でになって了うのである。友人と話合っている時ならば、颯爽とした(少くとも成人の)議論の立派に出来る自分なのに、之は一体どうした訳だろう? 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟反駁論、最も子供欺しの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。自分の思想は斯んな幼稚なものである筈はないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になって了う。父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。

高田馬場駅前の美容院

 

 

 

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