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中枢神経を一時的に刺戟

 

覚醒、昂奮させる注射薬だが、坂野はもと「漫談とアコーディオン」を売物に舞台に出ていた頃から、この味をおぼえたらしく、煙草を吸うように、ひんぱんにこの劇薬を注射していて、その量と回数は、さすがの木崎もあきれていた。木崎があきれるくらいだから、坂野の細君は、

「十本入り二十三円でしょう。それを二箱も打つ日があるんですから、たまりませんわ。ヒロポン代だけでサラリーが……」

 飛んじゃいますわと、こぼしていたが、到頭逃げてしまったらしい。――米よりもまず注射薬を買い、米は買えなかったのだ。

「畜生! ひでえアマだ。(あなたは坂野医院の看板を出して、毎日注射して幸福にくらして下さい)か。ばかにしてやがる。いや、手紙よりも、木崎さん、一寸これ見て下さい」

 細君が出しなにたたき割って行った買いだめの注射薬のアンプルのかけらを、坂野は見せ、土色の顔を一層土色にして、ふぬけていたが、やがてエヘッと笑うと、

「印籠みたいなもンでさあ」

 と、ポケットからヒロポンの箱を出して来た。

「――これだけは肌身はなさず。エヘッ……。これがないと、アコーディオンも弾けませんや。何はともあれ……」

 まず一本……と、二CC、針のあとだらけの腕に打って、ペタペタたたいた。

「僕にも打って下さい」

 坂野を慰める最上の方法はこれだと、木崎は腕を出したが、一つにはヒロポンを打って、徹夜で陽子と茉莉の写真を現像しようと思ったのだ。

「チマ子に触れないためにも……」

 現像をすることだ――と、つぶやいて、やがて木崎は部屋へ戻ってみると、チマ子はいつの間にかいなくなっていた。

変形性膝関節症

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